伊南村 檜枝岐村 只見町 舘岩村
・・・伊南村・・・
◇大桃の舞台
駒獄神社の境内にあり、明治28年7月9日の再建である。舞台の中央部には固定二重、二層機構の舞台であり、上の二重の前後には唐紙をいれることができます。その奥は二重下の面と同じ高さに床が張られていて、楽屋になっています。その昔、舞台上手に張り出してゲザと呼ばれる太夫座が常設されていたといいますが現在はなくなっています。習芝居は明治40年までで、それ以後買芝居を上演し毎年3回の宮籠りにもしようされていました。農村舞台の一典型をなすものとして大変重要であります。
◇久川城跡
青柳と小塩にわたる南北約565m、東西約250m、比高53mの丘陵に所在します。東は伊南川に臨み、西は絶壁をなして、その下は滝倉沢の渓流となり、北はこれと合流した久川がふもとを流れる天然の要害です。『新編会津風土記』巻44の青柳村の項からは、久川城の風格が伺え、同書等より古町の館に住した河原田盛次が天正17年伊達政宗軍の来襲に備えて築城したもので、のちにか蒲生氏の支城となりましたが、慶長16年に至り廃城となりました。現在でも遺構の保存の良好な点、歴史的背景及び築城廃城の時期が比較的明確な点など、戦国近世初頭の山城として極めて貴重な史跡と認められています。
◇小町の大イチョウ
この大イチョウは、建久年間会津四家の一人、初代河原田盛光が東館、西館を築いてここに重臣を住まわせ、そのときに植えた庭樹と言われています。11代盛次の時馬場安房が居住したので後人、馬場屋敷と呼ばれています。(現在は伊南小学校地となっている。)昔、乳の神として村人の信仰厚く、また遠く上州や越後からの参詣者も多かったようです。この木は、樹齢800年余と推定され、樹高35m、根回り16m、目通り11mあって県下随一の老樹であり、郷土の至宝であります。
◇木造阿弥陀如来坐像
本仏は恵向僧都の作と伝えられているが銘はありません。藤原時代の名作にして俗に黒仏様と称し、古い歴史と伝説に富む御仏です。この像は、善導寺の本尊で、宝永元年京都より下されることとなり、第九愚誉和尚の時の古町村大山家よりお迎えのため京に上りましたが不幸にして近江にて急死しました。それで弟大山六左衛門が代わって京に登り、善導寺にお迎え安置しました。当仏は全体が黒で塗られており、俗に黒仏様として崇敬されています。その昔、これは余りに有り難い御仏の為お迎え途中危難に遭うことを恐れ、金色の玉躰で塗りつぶしたといわれています。
・・・檜枝岐村・・・
◇袖萩とお君の像
〜歌舞伎の一場面を思い出す〜
檜枝岐歌舞伎の代表的な作品「奥州安達ヶ原袖萩祭文の段」の一場面を再現した、袖萩とお君の母子の像は、歌舞伎舞台へとつづく小道の中程、橋場のばんばのとなりに建てられています。
◇橋場のばんば
〜やさしい顔で、なんでも聞いてくれる〜
鎮守神(ちんじゅしん)へとつづく参道中程に鎮座するばんばの石仏は、子供を水難から守ってくれる水神様です。最近では縁結び、縁切りの神様として信仰され、悪縁を切りたいときは、新しいハサミを。良縁できりたくない時は、さびて切れないハサミを供えるそうです。また、ばんばの頭にお椀のふたをかぶせると、どんな願いもかなえてくれるといわれています。
◇尾瀬大納言像
〜尾瀬の伝説を語る立像〜
中土合公園内に建てられている尾瀬大納言像は自然の宝庫、動植物の楽園として知られる尾瀬の地名由来となた人物です。その伝説は平家追討の合戦で敗れた尾瀬大納言が、尾瀬沼におちのび永住したことにはじまると伝えられています。
◇六地蔵
〜貧しかった時代の物語〜
道端にたたずむ6体の石像。山深い里のため、昔から冷害に悩まされ、特に凶作に年には餓死者も出るほどでした。ゆえに働けぬ赤ん坊が「まびき」されるという悲惨な行為もありました。この稚児像は、その霊を弔い母の嘆きを慰めるために建立されたものです。
◇板倉
〜道端に点在する穀物庫〜
板倉は、火事から大切な穀物を守るため、家から少し離れた畑の中に立てられました。厚さ10センチほどの板をセイロウのように組み合わせる工法で、窓はなく釘や柱も一切使用されていません。この建築様式は奈良の正倉院と同じで建築史上重要な文化財です。
◇歴史民族資料館
〜檜枝岐村へ訪れたら、まずこちらへ〜
観光案内所が併設された歴史民族資料館は、尾瀬のこと、檜枝岐の歴史をまとめて紹介しています。1階には、狩猟用具と檜枝岐歌舞伎の衣装や資料を展示。2階は檜枝岐の生活用具や林産用具、漁具などが展示され、先人たちの暮らしの知恵を偲ぶことができます。入口わきの観光案内所では、尾瀬観光のことなら何でも教えてもらえます。
・・・只見町・・・
◇旧五十嵐家住宅〜先人たちの知恵に遭う
約300年前築のこの地方の本百姓の家屋で国の重文指定。享保3年(1718)のほぞ書きが残り、当時の農民の暮らしを垣間見ることができる。
●開館時間/午前9時30分〜午後5時 ●火曜日休館
◇叶津番所跡〜あまたの歴史が通り過ぎた
かつて会津と越後を結ぶ唯一の交易路として栄えた八十里越の番所跡で、寛永20年(1643)築のものと伝えられ、当時の人々の行き交う姿を偲ぶことができる。
●開館時間/午前10時〜午後4時 ●火曜日休館
◇成法寺〜断崖の下に建つ名刹
成法寺観音堂は純唐様式建築で、国重要文化財の指定を受ける。1311年建立のもので、当時からこの地方で厚い信仰を集め、御蔵入三十三観音の一番札所である。
◇会津只見考古館〜四千年前の昔に還る
只見川流域は古代遺跡の宝庫といわれ、縄文・弥生時代の遺跡が多く分布している。そこから発掘された土器や石器などの珍しい出土品を中心に、考古資料がたくさん常時展示され、訪れる人を古代ロマンに誘ってくれる。屋外には竪穴式住居が復元されている。
●開館時間/午前9時〜午後4時
●休館は毎週月曜日(祝日の翌日)と11月下旬〜4月中旬
◇窪田遺跡
会津考古館前の公園は「窪田遺跡」に指定されている縄文時代後期から弥生時代中期(紀元前2千年から紀元前後)にかけての集落跡で、縄文時代の住居跡が4棟、弥生時代のものが2棟発見された。
また弥生時代のお墓である再葬墓が発見され、当時の死生観を知る上で重要な遺跡である。
・・・舘岩村・・・
◇前沢ふるさと公園
舘岩村の象徴である曲家の残る前沢集落は、花しょうぶ園や蛍の里などとともに公園として、日本の原風景を観賞できます。
●曲家集落
●曲家資料館
●花しょうぶ園
●そば処「曲家」
◇水引曲家集落
湯ノ岐川渓谷最奥の集落であり、前沢集落同様環境美化条例に基づく保存地区として曲家の保存に努め、日本の原風景が息づいています。
◇水芭蕉郡生地
舘岩村の南西に川衣集落があり、そこから更に約1kmほどいった所に、水芭蕉群生地が広がります。木道などは整備されていませんので、湿原には絶対に立ち入らないでください。
◇立岩・逆岩
舘岩村の名に由来する伝説の岩。昔住みついていた巨人妖怪ダイタンボウが蹴飛ばした「立岩」、折れて刺さったのが「逆岩」です。
◇湯ノ花「舞台」
ニ荒山神社の境内にある、村芝居小屋の一つで村指定民俗文化財になっています。
現在使用することは少なくなりましたが、かつては農民歌舞伎が演じられ、また村の史実や説話が受け継がれていく貴重な場所でした。
◇日詰滝・へび滝
日詰滝の由来は、かつて虹が映し出されあまりの美しさに訪れた人々は時の経つのを忘れ、日暮れが迫っていることを感じさせなかったためと伝えられています。木賊温泉の近くには、伝説にまつわるへび滝があります。熊野神社のお使い者の蛇がこの滝に来て行水し、夜になると熊野神社境内へと戻るということを毎日繰り返していたため人々は"へび滝"と呼ぶようになったと伝えられています。
◇渓谷(舘岩川・鱒沢川・湯ノ岐川・西根川渓谷)
新緑の緑・紅葉の赤や黄そこに流れる清流の輝きは、まさに山紫水明の里。渓谷を流れるせせらぎとの絶景は、四季を通しさまざまな表情が楽しめます。